昭和36年、私が生まれたその年、遙か彼方の国で一人の男が大統領になった。第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)。
「国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うてほしい。」
就任演説で発したその言葉は余りにも有名で、失敗や不満を外に求めたがる今の私にとっては実に耳が痛い。もらえる年金額にぶつぶつ愚痴を言いながら、65歳まで穏便に過ごせないか考えている愚か者だ(汗)
太平洋戦争が終わり、街を闊歩する進駐軍に子供達が「ギブミーチョコレート」と駆け寄るシーンを、子供の頃にドラマや終戦特集で観た記憶がある。群がる子供たちに惜しげも無くチョコレートを与えるアメリカ兵に、優しさと裕福さを感じた。しかし今にして思えば当時の進駐軍は、日本の国家予算の1/3を軍駐留経費に使っている。配られるチョコレートも国家予算だったのだ。物をねだれば気前よくくれるアメリカは、実は腹黒だったりするのだ。
欲しい欲しいとタダねだるだけでは、腹黒い者につけ込まれる。「ギブミーチョコレート」と叫んだ子供達が、高度成長を支えた大人となっていく。立国を目指す大人たちを見ながら私は育った。外人への接し方が変わる。モノをねだりたいわけじゃ無い。街で見かけた外人に、ただ「ハローハロー」と恥ずかしげに声を掛けるだけで良かった。その行動を友達に自慢し、はしゃぐだけで満足出来た。まだまだ後進国だった日本が、先進国の人に「こんにちは」と声をかけることが、嬉しくてたまらなかったのだ。
2013年11月19日。キャロライン・ケネディ、第29代駐日アメリカ合衆国大使着任。感慨深くも、亡き大統領の娘が日本にやって来た。
2016年暮れ、youtubeでアメリカ大使館が、流行歌「恋ダンス」に乗せてダンスの動画を公開され話題になった。
今、若い人たちは物怖じもせず、海外へ飛び立っている。多くの日本人が、世界で活躍している。日本は世界のために何ができるかを問える国になったのだ。
世界の人々とダンスができる国になったのだ。
「ギブミー年金」などと愚痴る前に、働ける内は働こう!
「働く事が国のためになる。」などと綺麗事でオチをつけるつもりはないが、この歳までデザインの世界で働ける事が、ただ嬉しくてたまらないだけなのだ。